「雨がふります。雨がふる」 芳孝はそう呟き目の前のカンバスに絵の具を乗せてゆく。 窓の外では雨が石や草、土などを暗く染めてゆく様が見える。 やがて彩度を落としてゆく風景は限りなく黒へと近づいていった。 黒の洪水の中で兄が溺れている。 兄は紅色の紐を掴んで耐えようとしていたが、紐は切れた。 その瞬間に紐の紅色は飛び散り、黒のなかに千代紙のような模様が浮かび上がってくる。 兄の手がその千代紙を折り、それで自らの首筋を切り裂く。 赤く細い傷からは血色をした小雉子が飛び出した。 小雉子はしばらく羽ばたくが、やがて人形の上へとまった。 するとすぐに大きな音がして、白象が芳孝の後ろからやって来た。 白象は人形を倒し、芳孝を曇りの無い目で見詰める。 その目の中に誰かが居るような気がして手を伸ばすが、芳孝の手は美術教師の手によって遮られた。 「倉木ぃ、俺は外の景色を描けと言ったよなぁ」 教師のだみ声が、芳孝をカンバスの中の世界から現実へと連れ戻す。 「お前には白象が外に居るように見えるのか、どうなんだ、おい、何か言ったらどうだ!」 芳孝の頭に鈍い痛みが走る。 しかし教師の暴力よりも、周りの生徒の白けた視線の方が芳孝には痛かった。 「倉木の兄貴はあんなに優等生なのに…」 生徒の誰かが小声で呟く。 何度も聞いたお約束の文句。 教師が去って行くと生徒達は芳孝への興味を無くし、皆自分のカンバスへと視線を移動した。 「この白い象、とっても綺麗…ねえ、白い象ってお釈迦様の化身なんだってね」 芳孝の隣に座っていた間嶋がぽそりと呟く。 「面白いね。この絵の中にあるものって、象以外は白秋の雨って唄に出てくるものでしょう…やっぱり芳孝の絵は綺麗で面白いから大好きだよ」 そう言って微笑む間嶋の顔は、さっき白象の目の中に見た誰かの顔にそっくりだった。 いつものように間嶋の言葉を聞いて心が穏やかになった芳孝は、何故白象の目の中に間嶋が見えたのかを、理解した気がした。