「俺はメシアより飯屋の方がずっとずっと大事だ……」 と、彼はやって来て開口一番に言った。 僕らの日常 いつかの帰り道 ・俺とアイツと飯屋の親仁と・ 「お前…それユダヤ人に言ってみろ。殺されるぞ。」 「自分は食い意地張ってます!」と言わんばかりの発言をした人間の隣で歩いていた、眼鏡をかけている少年が言った。 「大体、メシアって何者か解ってるのか…?救世主だぞ?」 「何者であれ!今現在、そう、この今現在の俺には飯屋が全て!飯屋こそ神!」 食い意地の張った少年は叫ぶ。 「お前にはわからんだろう、この気持ち!俺が今どれ程飯屋を望んでいるか…!!!」 「掃除時間に雑巾野球をしていて窓硝子を割り、罰として体育教師に弁当を食べられたが故に餓死間近の人間の気持ちなんて知りたくないな。」 眼鏡の少年は冷静に返した。 「そんな説明口調に言わんでも…」 「説明というより…噂の確認だ。俺は実際その場に居たわけではないからな。誰かが言ってた噂が本当かどうか、確かめた。」 「だ、誰だー。こんなに正確な噂を流した奴はー。」 食い意地の張った少年が疲れ気味に唸った。 それを横目に、眼鏡の少年は冷静に喋る。 「そうか。正確だったなら良かった。 お前はいつも、相手が知っていようがいまいが、説明無しで唐突に喋りだすからな。 正直、クラスが別れてから、帰りの時が心配だった。」 「………」 「まあ、今はその心配も無くなったんだが。毎日噂になってるからな、お前は。 昨日は古典教師の鬘を隠したんだろ。 一昨日はサッカーのゴールの網を破ったとか。 その前は…」 「……………」 「…先週の水曜日は実験失敗で髪がアフロになったらしいな…って、聞いてるのか?」 「…わ、悪かった…つい癖で。 ほら、前は同じ教室で隣にいて、俺が何かやると帰りに教師より長ーく説教しやがって…」 「…謝っているのか…?なんだか最後の辺りが文句にしか聞こえないのだが…」 眼鏡の少年が溜息混じりに言った。 二人は田舎の高校に通っていた。 最も近くの駅まで徒歩一時間というかなり酷い条件の癖に、進学実績等は中々。 古いしボロいが、それも味になってきているような校舎と広すぎる校庭が売りの、割と普通の田舎学校だった。 駅の近くまで行かないと田畑しかない田舎なので当然、飯屋も駅近くにしかない。 学校を出てからまだ20分。 食い意地の張った少年の苦悩は、続く。 「す、すまん…もう、何も考えられないくらい死にそうなんだ…飯屋…」 「なら走れ。そうすれば大好きな飯屋まで早く着けるぞ。」 「このやろう…こんな状態で走れるかー。」 「じゃあ我慢して歩け。」 「おう。容赦ないな…」 「最後の一言は余計だ…全く。」 夕焼けの世界の中で、二人は流れに全てを任せたかのように無節操で、他愛の無い会話を繰り広げていた。 辺り一面、真っ赤だった。 いきなり、近くの田んぼから、小さなトカゲが出てきた。 「お、トカゲ発見!」 「…懐かしいな。小さい頃はよく捕まえようと二人で森まで探しに行ってたんだが…こんな所でも見つけられたのか…」 「そうだっけ?探しに行ったか?」 「行った。毎朝お前が俺の家の前で大声上げて起こしにきたんだ。嫌でも覚えてる。」 「…あー、そんな昔のことは置いといて…今俺は猛烈にこのトカゲが美味そうに見えてきた…いや、待て俺!早まるな!」 「因みに、外国ではワニを食べている所なんかもあるそうだ。たしかアマゾンとかそこら辺だった。」 「…そうか、じゃあトカゲも食べられるのかァ……って!誘惑すんな!!」 「いや、焼かないときっと不味いな。ライターなんか、持ってないだろ。」 「む…」 「第一に、こんな小さなトカゲ、食べられるところなんてたかが知れてるぞ。 骨と皮と臓器の集まりのようなもんだからな。」 「…わかった。あきらめるよ。」 「それでよし。」 「だから、走ろう。」 食い意地の張った少年が、何かを決意したかのように言った。 そして、相方の了解も受けずに走り出した。 眼鏡の少年は数秒の間、言葉を失った後 「…何故そうなる?会話が成り立っていないぞ。」 と眉間に皺を寄せながら呟いた。 そして彼も、遥か前方で小さくなってゆく影を追いかけ、走り始めた。 数分後。 眼鏡の少年は前方の影に追いついて、ふと思い出したように相方に尋ねた。 「そういや悠斗、お前、金は持ってるのか?」 「!」 驚いて目を見開いて、悠斗と呼ばれた少年は止まった。 そして言った。 「…徒弥、貸してくれ…頼む…」 赤の世界で、沈黙が横たわる。 「こんな事だろうと思ったよ…。」 数秒後、赤の世界は徒弥と呼ばれた少年の溜息で満たされた。 駅前は少し大きな繁華街になっていて、レストランや喫茶店、立ち食い蕎麦等、多種多様な飲食店があるのだが、 学生に一番人気なのは繁華街に入ってすぐの場所にある「頑張り亭」という店。 相当古い木造の造りで、ラーメン屋のような狭い店内は大体ハードな部活帰りの生徒で満席状態。 安さと美味さ、そしてアットホームな雰囲気が売りの学生達の絶好の溜まり場なのである。 硝子戸が五月蝿い音を立てて開く。 まだ部活は終わっていない時間なので、店内は比較的空いていた。 「へい、らっしゃい!」 年齢不詳と有名な頑張り亭店主、通称親仁さんの声が響く。 動かしていない硝子戸が少し揺れた。よく通る大きな声だった。 「ちわっす!どもっ親仁さん!」 悠斗も負けないくらいよく通る声で挨拶して、カウンター席に座った。 「おぉ、悠斗か。今日も徒弥坊っちゃんの奢りか?」 親仁さんが笑いながら言った。 「奢ってるつもりはないんですが…コイツ、全然返さないんですよ。 後、坊っちゃんはやめてくださいよ。いつも言ってるじゃないですか。」 と、苦笑しつつ反論して、徒弥も悠斗の隣の席に座った。 「わりぃな、どうも癖になっちまってな。坊っちゃんと付けねぇとどうもおかしく感じちまう。 …さて、何にすんだ?今日は東北の知り合いから良い魚を貰ったからな。魚のメニューは割引だ。」 気のいい親仁さんは、大体日替わりで何か割引している。 そこも、人気の秘訣だったりするのだが。 「じゃあマグロの頭とか、ないか?」 「悠斗…そんな物どうするんだ?」 「食べれるところをほじって食べる!あれ美味いんだよ。な、親仁さん!」 目を輝かせながら、悠斗は親仁さんに言った。 「…マグロの頭なぁ…残ってるっちゃ残ってるが…そんなんでいいのか?」 親仁さんは小さな目を見開いて答えた。 「ああ!俺は見た目はそんなに気にしないしさ!」 「わーった。マグロの頭な。ちょっと待ってろよ。」 親仁さんの大きな背中は店の奥に消えた。 「と、いう訳で。マグロの頭、奢ってくれ!頼む!」 そう言って、悠斗がは凄い勢いで頭を下げた。 勢い余ってテーブルに額をぶつけた音がしたが、本人は気にしていない。 というかむしろ、気付いていないのかもしれない。 「ま、待てお前…マグロの頭って…一体いくらするんだ…?!」 徒弥が珍しく、少し焦り気味に訊いた。 「え…?っああぁ!!!親仁さんに値段訊くの忘れたぁ!!!」 「お前は…」 店内隅々にまで響き渡る声で叫んだ悠斗の隣で、 頭を抱えた徒弥が深い溜息をついた。 親仁さんが戻ってきた。 御盆の上には、大きなマグロの頭と、醤油小皿、そしてスプーンが乗っていた。 醤油やワサビはテーブル上に備え付けてある。 「お待ちどう!」 そう言って親仁さんはテーブルの上に御盆を置いた。 徒弥は興味深い顔でマグロの頭を見た。 「…徒弥、お前マグロの頭、見るの初めてなのか…?」 悠斗が訊いた。手はまだ膝の上にある。 「…現物を見るのは、初めてだ。 …凄い、思っていたよりずっと…硬い。」 徒弥が素直な感想を言った。 子供の様な面持ちで、マグロの頭を凝視し続ける徒弥を見た悠斗は、 「ちょっと悪い、ワサビ醤油作っててくんないか?トイレ行ってくる。」 と言って、席を立った。 「あの馬鹿野郎……そんなところで気を利かせてどうするんだよ… …俺、そんなに物珍しそうな顔してたか…?」 悠斗が見えなくなった後、徒弥はそう呟いた。 そして、カウンターの奥に居た親仁さんに話しかけた。 「…すみません、マグロの頭…駅ビルにある会席料理店に持っていく筈だったんじゃないんですか?」 親仁さんは、皿洗いをしていた手を止めて、徒弥の質問に答えた。 「徒弥坊っちゃん、よく知ってるな。」 「…俺がこんな事言うのもどうかと思いますが…いいんですか?悠斗の所為で…」 「なぁに、大丈夫さ。 さっき料理屋の方でキャンセルがあったらしくてな。要らなくなっちまったんだとさ。」 「…なら良いんですが……」 「…そうだ、因みに値段は200円だからな。」 「え?に、二百?!」 「ああ。元々、コイツは知り合いからタダ同然で貰ったマグロに、オマケで付いてきたようなもんだからな。」 「…あ、ありがとうございます…。」 そう言って徒弥が差し出した二枚の銀貨を 「昔悠斗にマグロの頭を売った時も、200円くらいだったかなぁ」 と言って親仁さんは受け取った。 「まあ、それを悠斗が覚えていたかどうかは怪しいところですけどね。 …アイツ、極端に記憶力無いですから。」 徒弥は微笑みながら独り言のように言った。 親仁さんがカウンターの向こうで苦笑した。 トイレを出た少し開けた場所で、悠斗は同じクラスの奴ら二三人と話していた。 同じ頃、ワサビ醤油を作っていた徒弥に、同じクラスの奴が話しかけてきた。 彼等は尋ねた。 「前から気になってたんだけどさ、お前、なんでアイツとあんなに仲良いんだ?」 「…アイツって…ああ、悠斗か。」 「そうだ。なんで学年トップのお前みたいな奴が、あんなお調子者の問題児とつるんでるのか…俺にはさっぱり見当がつかねぇ…」 「…アイツって、誰の事だ?」 「お前…っ徒弥に決まってんだろうが! なんであんないっつも冷静で愛想無さ気な奴とつるんでんだよお前!よくわかんねぇ」 「ああ、全くだ。」 と、少年は答えた。 「いつも五月蝿くて落ち着きが無くて…おまけに貸した金は一度も返ってこないしな…」 「いつも的確で容赦の無いツッコミばっかりで…俺が転んでも倒れても溝に嵌っても心配じゃなくて説教しやがる…」 「…まあぶっちゃけた話、アレだ…あ、あの…ナントカ縁!」 「お前…語彙力無さ過ぎ…」 悠斗のクラスメイトは、脱力した。 「まあ、別にいいんだけどよ… 弱みでも握られて、下僕にでもされてんのかと…」 悠斗は笑った。 「でも、アイツは良い奴だよ。ちゃんと気づかってくれる…まあ、結構空回りしてるが。」 「…そうか。なら構わないんだがな。 てっきり喧嘩で負けて、舎弟にでもされたのかと思って。」 徒弥は相当嫌な顔をして 「俺が喧嘩で負けると思うのか?」 と言った。 ワサビ醤油が出来上がった頃、悠斗は戻って来た。 「悪い!待たせた!」 「…いいよ別に。」 「あ、ワサビ醤油も、ありがとうな!」 「ああ。」 悠斗は席に座って、 「じゃ、いただきます!」 と言い、マグロの頭を食べだした。 二三口食べた後、 「美味い!絶品だ!」 と言って、その後は黙々と食べ続けた。 そんな悠斗を見ながら、徒弥は先刻クラスメイトが言っていた事を思い返していた。 「…喧嘩か…ふざけるなよ…俺が全勝してっるっての。」 低めの声で呟いていたが、それは悠斗には聞こえていなかった。もちろん隅の辺りのテーブルに返って行ったクラスメイトにも。 夕日の赤が沈みきって、夜が訪れた。 二つの人影が閑静な住宅街を進んでいた。 ふと、一人が口を開いた。 「そういえば、トカゲの話だけど。」 「ん?なんだ?」 もう一人が聞き返した。 「いや、思い出したよ。あれ、俺が図鑑の絵じゃなくて、本物のトカゲを観察して標本にしたい…って言ったんだ。 そしたら次の日の朝、お前が…」 「そうだっけ?」 「そうだ。それから俺はお前のトカゲ探索ツアーに毎日付き合わされたんだよ…。 俺としては、トカゲが欲しいってのは独り言のつもりだったのに…」 「ああ、山に入っていって遭難になった話か!」 「…そんな事もあったな…」 「いやー、あの時は本当に死ぬかと思った!」 「お前が変な道に入っていくから…」 「だって、トカゲとか、藪の中にいそうじゃん。」 「………まあ、助かったから良かったが。」 「それに、まさかあの道があの有名な"帰らず山"に繋がってるなんて、全然知らなかった。」 「…知ってたら行かなかった、という訳でもない癖に…よくもまあ。」 二人は分かれ道に着いた。 「じゃ、また明日!」 悠斗の無駄に爽やかな挨拶。 「明日の朝は、寝坊するなよ。 それと、財布は必ず鞄に入れておくこと。 後は…」 「じゃーな!」 「あっ!おい待て!!…っあんにゃろ…」 長い説教の気配察知した少年の走る音は、夜の住宅街に消えた。 住宅街に静けさが戻る。 「…今夜は、冷えそうだな…全く。」 残された少年も、やがて帰路についた。 月は空高く輝いていた。