僕はあの時確かに、階段を踏み外したんだと思っている。 いや、正確には、階段から突き落とされたんだ。 別に怨んではいないさ。 確かに突き落とされはしたが、抵抗もせずに、そのまま転がり落ちて行ったのは、僕の意思だ。 彼が手を伸ばしてくれるかも。なんて、他力本願で浅はかな、馬鹿らしい願いを抱いたまま、体を重力に任せていただけなんだ。 ただ、それだけの話。 ――― 物心ついた時から中学まで、ずっと彼に想いを寄せてた。 ただの身勝手な想いをね。 ただ想うだけ…なんだけど、同性だったからさ、彼にとっちゃ、迷惑この上ない事だ。 今思えば、その想いが露呈しなかっただけでも、ありがたいものだよ。 それがマイノリティな事くらいは、流石に子供心にも理解していたからさ。 きっかけは、とある同性愛者の先輩が、僕に言い寄ってきたこと。 同属は勘でわかるみたいで、僕が同性愛者だと、先輩には気付かれてしまったんだ。 先輩は、あろうことか、彼やその他の友達の前で僕にキスをしたんだ。 先輩の胸中には、友達に裏切られた僕が、先輩を頼るだろう、という打算があったのだそうで。 僕の想いも身勝手だけど、先輩の打算も、中々身勝手だと思わない? 恋愛はステキなコト、なんてよく歌われてるけどさ、僕は頷けない。 綺麗なのは上っ面だけで、中身を覗けば、身勝手な欲望が汚く渦巻いているだけだ。 欲望は、人間の根本的なトコロにある感情だ…綺麗な筈がない。 …結果として、僕は同性愛者の疑惑…実際、同性愛者だから、疑惑というのもおかしな気がするけど …ともかく、僕は周りに同性愛者疑惑をかけられた。 …多分、キスを仕掛けられた時に、放心してしまって、無抵抗だったのが失敗だったんだ。 そのまま疑惑に何の反応もしないでいると、いじめが始まった。 クラスメートは勿論、彼にも、友達にも無視された。 僕は、何もしなかった。 …いや、何もできなかった。 彼に、裏切られたような気がして、悲しさよりも、虚無感に襲われた。 彼とは、所謂幼なじみってやつで、何年も一緒にいたから… だから、何も言わなくても解ってくれるんじゃないか、受け入れてくれるんじゃないかって、信頼していたんだよ。 信頼って言えば聞こえはいいけど、要は身勝手な妄信であり、思い上がりだ。 それでも、それが解らなかった当時の浅はかな僕は、信頼の喪失によって、 虚無感に支配されて…結果として何もせずに、中学を卒業したのさ。 ――― それからどうしたって? …あまり聞こえの良い話ではないよ? 僕は、中学を卒業すると同時に、此処東京に来た。 親も、僕が同性愛者だと噂されてるのを知って、勘当した…とはいっても、 中学卒業までは面倒をみてくれたんだから、感謝しているよ。 東京に来てからは、ウリで生活していた。 悲しいけど、他に中卒の田舎者が、十分な金を稼ぐ方法なんて無かったからね。 ただ、どこの組織にも属していなかったから、危ない事になりそうになってさ… そんな時に、事情を聞いた、このバーのマスターに拾って貰えたんだよ。 …というか、ウリとかヤクとか、そういうのは組織に属して、 売り上げの幾らかを納めないといけない仕組みって事、後になって知ったんだよね… いやぁ、田舎者にとっちゃ怖いトコロだよ、東京は。 ――― ねえ、信頼って、何だろうね。 あの時の僕は、勝手に裏切られたような気になって、悲劇の主人公やってたけどさ… 今にして思えば、何も話さなかった僕だって、彼を裏切っていたんじゃないかって思うんだよね。 勿論、全てを話して、全てを解ってもらう事が信頼だとは思っていない。 でもさ、彼に全く何も言わなかった僕は、結局はこれっぽっちも、彼を信頼していなかったんじゃないか、って思うんだ。 信頼なんて言って、解ったようなフリをして、本当に僕が信頼していたのは、 「彼は何も言わなくても解ってくれるだろう」っていう僕の妄想が造った彼だったんだよ。 ねえ、それは現実の彼そのものに対する裏切りだと思わない? ――― 「ま、なんにせよ、あの時は僕も彼も、例の先輩も他の皆も若かったからね…仕方の無い事だよ。」 そう苦笑してから、俺の隣に座って話をしていたバーテンダーは、 俺の空になったグラスを下げて、カウンターの奥へ戻って行った。 気付けば店内にはもう、殆ど客はいなかった。 カウンター席に俺を含めて三人のみ。しかも俺とは離れた席の二人は、完全に彼らの世界へ旅立ってしまっている。 ここは所謂、ゲイバーというやつで、俺はこの世界に足を踏み入れて以来、 色々似たようなところへ行っているが、ここへ来るのは初めてだった。 最初から俺は、相手を探す気もなく、なんとなくただ茫然と飲んでいた。 店内の雰囲気に、昔どこかに忘れてきてしまったような懐かしさを感じ、それを一人で味わっていた。 サングラスをかけていてかなり怪しかった為か、誰に声を掛けられる事もなく 一人であった俺を見兼ねたのだろう。客が減って手の空いたバーテンダーが話し掛けてきたのだった。 俺が店内を見回していると、カウンターから先程のバーテンダーがやって来て、俺の前にグラスを置いた。 先程空にしたグラスに注いであったものと、同じ酒だった。 「つまらない話、聞いてくれたお礼に、ね。」 そう言って微笑みながら、また俺の隣に座った。 「初めてこの話、人にしたんだ…初対面の人にする話でもないけど。聞いてくれてありがとう。」 遠くを見ながら、更に彼は言った。 「こんなこと言われても困ると思うんだけどさ、君を見てたら、ふと、さっきの話の中の彼を思い出して…」 彼の目は、色褪せた過去を見つめ、頬は初めて恋を知った少年のように色付いていた。 俺は彼から一度目を逸らし、グラスの中の酒を少し飲んだ。 少ししてまた、彼は話し出した。 「後悔はしたけど、今はあの時があって良かったと思ってる。 確かに僕は階段から転がり落ちた。けど、あの時が無かったら、僕はいつまでも子供で、 妄想の彼を信頼して、現実の彼を裏切ったままだったかもしれない。 あの時の事を、それだけの話、なんて笑いながら話せる、少し大人な自分も、存在しなかっただろうしね。 …とか言って、実は出来ることなら彼と再会して、今度こそ現実の彼を信頼したいとか、未練がましく思ってるんだけどさ。 恋愛感情は二の次で、ね。 …まあ実際会ったら、どうせまた惹かれるんだろうけど。 結局、偶像崇拝を自覚しても、東京に来てからも、ずっと彼のことが忘れられないのは、未だに好きだからなんだろうね。 階段から突き落とされたっていうのに全く、彼に関しては自分でも呆れるくらい、諦めが悪いよ。」 ――― ああ、あの時が無かったら こうしてここに居ることも 本音を聞くことも無かったのだろうか。 俺は意を決して、口を開いた。 「なあ、俺の話も聞いてくれるか… あの時確かに、俺は上っ面だけ綺麗で、中身の無いアイツの偶像を見てた。 解ったようなフリをしていて、裏切られたような妄想に陥って、 実際は俺がアイツを裏切っていたって気付いた時には、アイツは消えてしまっていたんだ。 ただ、それだけの話。」 そう言って、俺は微笑みながら、サングラスを外す。 遠くを見ていた彼の目が、見開かれて、俺に真っ直ぐ向けられる。 なあ、今お前の目にはおそらく、現実の俺が映っているんだろう? 俺もこれからは、お前の綺麗な上っ面だけじゃなくて、汚い中身も、目を逸らさないで見るように努力するよ。 だから自分を責めないでくれ… お前には、心から笑っていてほしいんだって気付いたから、俺はお前を探してたんだ…。 「なあ、あの時の事を、それだけの話って言って語り合える今の俺達なら、信頼ってやつがなんなのか、二人で探り合えるんじゃないか。」


  


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某k大学の英語の過去問をやりはじめたつもりでいたら、いつの間にかこんなものができてた… そんな入試12日前…うん、どんだけだよ。 英語のせいで鬱になってたんだねきっと!鬱!これはBLっつーより鬱SSですよ! …名前すらない彼らが可哀想に見えてくる不思議。 え、某k大?ああ、結局受かってたけど行けないよ。私立の薬学部とか行ける金ない。私立高けえ





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